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特集

誌上暑中見舞交換
日本の世界遺産

原爆ドーム(広島県)

1996年登録

1915年に広島県物産陳列館として開館された「原爆ドーム」。元来は地上3階・地下1階の煉瓦造りの構造の中央に、地上5階建て・高さ25mのドーム部がある建造物だった。

1933年、広島県産業奨励館に改称。この前後、盛んに美術展が開催され、広島における美術の普及に大きく貢献した。しかし、戦火が激しさを増した1944年以後、その業務を停止し、行政機関・統制組合の事務所として使用されていた。

1945年8月6日午前8時15分、原爆ドームの南東上空約600mの地点で原子爆弾が炸裂。

建物は1秒もかからない内に瞬間的に崩壊したと推定される。3階建ての本体部分はほぼ全壊したが、中央のドーム部分は全壊を免れ、外壁を中心に煉瓦や鉄骨などが残存した。

なお、原爆ドームやアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、奴隷貿易の拠点ゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島など、戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような物件も多く世界遺産に登録され、別名「負の世界遺産」と呼ばれている。

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石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県)

2007年登録

戦国時代後期から江戸時代前期にかけて日本最大の銀山として栄えた石見銀山。

日本を代表する鉱山遺跡として1969年に国指定の史跡に登録。2007年6月には、銀山柵内や代官所跡、大森銀山伝統的重要建築物保存地区、重文熊谷家住宅、羅漢寺五百羅漢などからなる「銀鉱山跡と鉱山町」のほか、「石見銀山街道」、温泉津(ゆのつ)伝統的重要建造物群保存地区などの「港と港町」あわせ約3663ヘクタールが「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産の仲間入りした。

山を崩さず、木を伐採せず、狭い公道を掘り進み採掘するという点が特徴で「21世紀が必要としている環境への配慮が、すでにこの場でなされていたこと」が、登録への大きな決め手となった。

1715年に開発された龍源寺間歩(坑道)は、279ある間歩の中でも2番目の規模を誇る。

現在でも坑道内を見学でき、ノミの手掘り跡などが随所に見られる。