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事務局 多士済々

「工場長の選択に失敗なし」 現場に事務に組合を支え40年

島田空板工業協同組合
山盛基三郎 工場長

 

かまぼこ板を「空板(からいた)」という。島田市は全国生産量の4割を占める日本一の空板産地だ。その製造業者らが組合を設立したのは、昭和35年。7年後、高度化資金を利用し2台の製材機を設置することに伴い、事務局の要として白羽の矢が立った。

「製材会社で営業をしていたところ、仲人親の初代理事長にくどかれて組合に入ったんだよ」。

最初に取組んだのは、すでに動き出していた事業計画の見直しだ。

「今じゃ考えられないけど、当初計画は収支マイナス。これはいけない、と計画の見直しを進めるとともに、毎月、金策のため組合員をまわりました」。

2年後、製材機を1台増やし、収支トントンにこぎつけた。その後も製材機の増設や人工乾燥機、焼却炉の設置など、積極的で的確な設備投資を進め、組合事業は順調に拡大する。

―導入機種選定を含め、工場の設備投資に失敗なし―。組合の寄せる賛辞と信頼が誇りだ。

「良い時代も悪い時代も経験した中で感じるのは、内部留保の必要性。新事業を始める時やいざという時にそれを痛感しますね」。

朝5時過ぎには事務所に顔を出し、1日の工程を確認。始業とともに20人近い従業員に指示を出す。午前中は丸太の運搬などログローダーを操り、現場を駆け巡る。午後は“事務長”として事務を執る。

4回に及ぶ高度化資金の利用は、専門家顔負けの経理・税務の実務知識を得る絶好の機会となった。

ぼくは我慢強いんだよ、というが、並大抵ではない。肋骨をはじめ数回の骨折を経験。だが、入院することなく“自然治癒”させた。

「痛いなと思って仕事をしているうちに骨折していることに気づくことが多い」と意に介さない。

休日に欠かさないウォーキング。

「島田の自宅から東は焼津、西は菊川あたりまで3時間から5時間かけて歩く。メタボリック気味だったからちょうど良い運動(笑)」。