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 多士済済 
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 編集室便り 




 同組合の理事長に就任して以来、四月で六年目を迎えた。焼津水産業界の若手リーダーと目されて久しいが、類まれな先見性と実行力で次々と新手を繰り出し業界に新風を吹き込んでいる。
 昭和九年、焼津市内の水産加工業者に奉公していた父親が独立し、カネヨを創業。鰹節や塩サバなどを製造し、リヤカーで売り歩きながら生計をたてた。「オヤジは、口数の少ない寡黙な人。代わりに母からは厳格なしつけを受けたよ」。
 父親から家業を継いだのは、昭和三五年。長男ではなかったが、子供心にもいつかこの日が来ると決めていた。その後、同業他社に先んじて、なまり節にいち早く手を出した。「なまりは、計画生産できるから」というのがその理由だ。鰹節は、二ヶ月寝かせて初めて商品となる。「読めない数ヵ月後の相場。はたしていくらで売れるのか。反対に、なまりは翌日売れ、利益も読めた」と振り返る。
 さらに、なまり節の市場飽和を見越すや、次なる手、倉庫部門に参入。事業家として将来展望を開いた。。

組合が農林水産大臣賞を受賞 
新手を繰り出し
 
水産業界に新風吹き込む
 

 クローズアップインタビュー

焼津市魚仲水産加工業(協) 
代表理事 
中山 嘉昭 氏 

 こうした手腕は組合運営にもいかんなく発揮される。まず、業界関係者の福利厚生施設として利用されてきた小川魚河岸食堂のあり方を改め、一般に広く開放。魚食普及と売上増を実現させた。また、平成十五年には、ボトルドウォーター『駿河湾深層水』の開発販売を手がけ、翌十六年には東名上り線・焼津パーキングエリアにオープンした『焼津さかな工房』の運営を受託。地元水産品の販売促進に向け、常に組合の旗振り役を担ってきた。
「さかな工房は組合員二○○店舗と焼津ブランドを通年PRできる絶好の場。組合員のための広告宣伝費と思えば安いものだ。焼津の看板背負って、自社の新商品をPRする。そこには絶大な事業効果がある」。
 また、焼津市が来年七月にオープンさせるタラソテラピー運営会社への出資、販売施設の設置も決めた。一部の反対意見を説得しての決断だけに、重い責任がのしかかるが、
「一人でも二人でもやりたい人がいるなら、組合がその場を提供してあげればいいではないか」と、前向きの姿勢を崩さない。沼津のひもの業界も頑張っているのに、日本一の焼津がなぜやらない。歯がゆい思いが、心の奥底にある。
 向こう傷を恐れることなく走りつづけた五年間。そんな実績が評価され、この二月、組合として農林水産大臣賞を受賞した。「みんなに助けられ、いい星のもとに生まれたなあと感謝しています」。昭和十七年生まれ。




中小企業静岡(2005年4月号No.617)