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視点・指導員の現場から

企業の「生命保険」

思いも寄らぬ事態

脳が反乱を起こした。

3年前の4月、自宅で倒れ意識をなくした私は、救急車で病院に運ばれた。16時間にも及ぶ手術を経て、奇跡的に一命を取り留めた。くも膜下出血だった。

「奇跡的に」といったのは、いくつかの偶然が私を死の淵から救ってくれたからである。

まず、自宅で倒れたこと。もし外出時や通勤途上であれば、短時間で適切な手当てを受けられたかどうかわからない。

2つ目には、異変にいち早く家人が気づき、迷わず救急車を呼んでくれたこと。その機転に救われた。

そして運ばれた日が土曜日の深夜であったにもかかわらず、時間を空けずに専門の医師が自宅から病院に駆けつけ適切な処置をしてくれたこと。

こうした偶然の積み重ねをして、私は今ここにいる。

幸いなことに、肉体的な後遺症もなく、ごく普通に生活しているが、この病は、唯一、私の人生から嗅覚を奪い取った。

嗅覚をなくしたことで、季節を香りで感じるようなことはできなくなったが、その現実を実感するたびに自らの戒めとすることができる。

得てして人生には、幸運と不運とがかわるがわる起こるものだ。企業経営も大きく言えばそういうことだろう。しかし、人生も経営も、幸運のみに身を委ねて前に進むことはできない。

企業の危機管理

経営者にお話を伺うと、会社の存亡に係わる「武勇伝」を拝聴することがある。

「このままでは会社がダメになる」。会社存亡の淵に立つ緊張感のなかで、経営者は策を考え、迷いに迷い、意を決して断を下す…。経験談が先に進むにつれ、まさに緊迫した情景が胸を突いてくる。

企業経営には、私が経験したことと同じように、その生死を分かつような機会が突然訪れないとも限らない。

もちろん、先ほどの武勇伝の中にも「実に幸運だった」と述懐される経営者もおられた。

しかしそれは、経営者が従前からリスクを想定し、策を練っていたことが、結果的に幸運を引き寄せていることが多い。

平時に有事の対策を

あらゆるリスクを想定し対策を検討していくことは、企業の安定に不可欠な要素のひとつである。

リスクへの備えには、それなりの時間や労力など、さまざまなコストを要する。今の利益に直結しないことも多い。

しかし、リスクへの対策は、人間で言えば生命保険のようなもので、いざという時、必ず役に立つ。人と同じく、健全な時にこそ、有事への対策をしっかりと考えておきたいものだ。

考えてみれば、経営者の周辺には、経済そのものの変化だけでなく、大地震で施設が破壊され、事業の継続が困難になったり、突然大流行した新型インフルエンザによって多くの従業員が就業不能になる…等々、企業活動を阻害する脅威が数多く潜んでいる。

これらひとつひとつに綿密に対策を構ずることは至難の業だ。しかし、こうしたことが、企業各社に合共通する課題で、一様に検討を要するものであるならば、例えば組合で研究会を立ち上げてみるのはどうだろう。そこで、時には外部の専門家をまじえ情報交換し、対策を検討し合うのも有効だ。

思いも寄らない事態はいつやってくるかわからない。

「転ばぬ先の杖」を手にしているかどうかでその後の経営は大きく変わる。私自身も肝に銘じるところだ。 (田中秀)