表彰式典で産業振興 功労表彰を受章
「“赤帽”は真心を届けるサービス業」
赤帽静岡県軽自動車運送協同組合
稲井 弘理事長
2月3日に開催された中央会表彰式典で、栄えある産業振興功労表彰を受けた。
「“赤帽”が広く認められた証し」と感慨を込め、喜びを表す。
軽自動車による個人運送業者=“赤帽”が誕生したのは昭和50年。全国各地に貨物の共同荷受や共同配車などを目的とした協同組合が誕生し、本県でも法人化の動きが高まる中、そのとりまとめ役を買い、県内を奔走した。昭和55年、26人の“赤帽”による協同組合が設立され、役員に推された。
「組合はできたが、20人あまりでは、広い静岡県をカバーすることは到底できないし、荷主の信用を得ることも難しい。そこで、最優先で組織強化に取り組んだ」。
県内各地で募集説明会を開催するなど精力的に組合員を勧誘。設立から10年足らずで組合員は10倍近くに増えた。さらに静岡市の本部に加え、浜松と沼津にも配車センターを設置し、共同配車事業を軌道に乗せるなど、副理事として采配をふるった。
平成10年、理事長に就任。
「高度成長、バブル経済と続いた上り坂の時代が終わり、下り坂に差し掛かった時期だった」。
東西の配車センターを廃し、本部に集約するという苦渋の決断を下した。その一方で、「県との間で結んだ防災協定に基づく緊急支援物資輸送の拠点機能や組合員への教育研修の場として、絶対必要」と老朽化が著しかった組合会館の改築に踏み切るなど、新たな仕掛けも忘れない。
高齢を理由に組合を去る組合員が増える一方、脱サラ組を中心に新たに組合に加わる者も多い。
「昨日までのサラリーマンを一人前の事業主に育てるため、組合が行う教育研修の意義は極めて大きい」と自ら講師を務めるなど、30年以上にわたり蓄えた豊富なノウハウを惜しみなく伝える。
「我々は、単にモノを運ぶ運送業ではなく、荷主に代わり荷物とともに真心を相手に届けるサービス業。そういう意識を常に持ち続けたい」。
広島県出身。昭和54年、夫人の実家のある静岡に移り、開業した。
自宅のある富士市から毎日、富士山をカメラに収める。
「季節ごと、日ごとに富士山の表情は違う。見れば見るほど魅せられる」。
高校時代、東京に向かう寝台列車から、初めて朝日に輝く富士を見た。
「ことばに表せない感動を受けた。こんな素晴しいものを毎日観ることができる静岡の人は本当に幸せだな、と羨ましく思った。そこに今住んでいるのは運命だね」。
関連リンク
2008年11月号 Business Report