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編集室便り

たとえば、ものを書くとき使われるコトバに起承転結がある。これを人の一生になぞらえていうなら、波瀾の人生を送った後に一定の成功を収め悠々たる老後を過ごして人生を締めくくる、ということになるのだろうか。

人生50年といわれた昔は、多くの先人がそうした完結型の納得いく一生を送れたのかもしれない。しかし、今や高齢社会。おまけにITだ、リストラだと変化の波が次々と襲ってくる。

この激変の時代に、長い人生がただ一回の「転」で完結に導かれるのはよほど恵まれた人だろう。

失敗、挫折、病気などむしろ人生の最期まで転び続けるほうが普通ではないか。作家の童門冬二さんは、そういう意味で「起承転々」なる造語を使い、人生に敗北はない、死ぬ日まで敗者復活戦の機会は残されていると語りかける。

年度の節目、桜舞う時、この言葉をかみしめてみた。ケセラセラ。(矢部)