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指導員の現場から
災害は忘れたころにやってくる



 今年も師走を迎えた。私事で恐縮だが、うちの町内でもここ数年、地域防災の日として十二月一日に防災訓練を行っている。
 今年も例年のごとく行われた。もともと田舎のことでもあり、お年寄りが多いが、家族を含め全くといっていいほど若い人の参加がなく、単なる町内の行事になってしまっている。あまりにも地震が来るといわれ続けられたことにも起因しているが、おざなりになっていることは否めない。
 先日、県流通システム協同組合の総会記念講演を聴く機会があった。講師は元兵庫警察署署長飛渡和敏氏であった。一九九五年一月十七日早朝五時四六分マグニチュード七.二の直下型地震が起こった、あの阪神淡路大震災時の署長さんだ。
 誰も予想していなかった近畿地方の地震。本来、救助活動を義務付けられた人達も被災者となってしまった中での対応は、生なましい壮絶な臨場感が伝わるものだった。
 突然、ドーンという音とともに、”グラグラグラ“。立つこともできず、十数秒の出来事に何が起きたか判らないどうすることもできないパニック状態だったという。とにかく、警察署へ行かなければと思い外に出てみたら、惨憺たる有様となっていた。歩いて十分ほどの道が三〇分以上かかり、やっとついたら、建物の入り口がなくなっていた。鉄筋四階建ての一階部分が崩落してしまっていたのだ。
 当直十人が生き埋めとなり一人が死亡するという事態だった。同時に管轄の神戸市兵庫区は、全半焼・焼失家屋五千百棟、死者四一五人という空前の惨状だ。
生き埋めの署員からは返事がある。しかし「市民の救出が先だ」飛渡署長はそう判断し、駆けつけてくる署員達は、瓦礫の下に同僚を残し、自分たちの家族の安否もそのままに、救助の最前線に飛び出していった。
 身元不明の遺体が運ばれてくる。限られたスペースのなかで、足の踏み場もない。冬場とはいえドライアイスを敷き詰めなければならない。その間に当直は寝るしかない。想像を絶する世界だ。
 それでも飛渡署長は、五時四六分という時間が被害を抑えることができたという。後三〇分遅れていたら、と思うと身の毛がよだつ。
新幹線が走り、高速道路や一般国道に車が溢れ、ローカル線に通勤・通学の人達が溢れていたらこの程度ではすまなかった、と。
 とにかく千年も地震が無かった為、全くそうしたものに対する準備が出来ていなかったことが最大の問題だった。そして、一番困ったのは、トイレと水の確保だった。食料と電気は少し我慢すれば何とかできるが、”水“が止まるとどうすることもできない。水洗トイレも当然使えない。この二つのことを最優先して確保する必要があるとのことだ。
 年は変わるが来月八回目の震災記念日を迎える。危機管理が叫ばれる今日、「狼が来る」とマンネリ化にならず、年の瀬の今、身を引き締めて点検と心構えを見直したいと思う。  (石)


中小企業静岡(2002年 12月号 No.589)