パソコンは三○年来の趣味
「組合に就職して以来、秋鹿前専務には、教えてもらうことが多かった。それも、あいさつや人との接し方など仕事に関する一から十まで、いや百まで、かな‥」。
学校を卒業した昭和五四年四月。「親父と秋鹿さんが高校の同級生だった」という縁で就職を決めた。長年、専務の片腕として活躍してきた実績を買われ、平成十五年、事務局長に就任。翌十六年、秋鹿専務は惜しまれつつ退任した。
「自分には、専務のような強力なリーダーシップはない代わりに、執行部を中心に組合運営に対する強い主体性が芽生えてきた。主役は組合員。その一五○社が結束すれば、相当なことができるはず」。
今は、高揚する役員の意識を伸ばし、そこから湧き出る知恵や構想の具現化に奔走するのが自身の務めと考える。
事務局のトップに立って以来、痛感するのは責任の重みだ。
「台風や地震、テロ、関係者の訃報。予期せぬ事態がいつ起きるか分からない。土日も自主出勤で、公も私もない感じ」とぼやいてみせるが、「自分の意思、行動の結果が組合運営に即、反映できるところは魅力」と目を輝かせる。
現在、凝っているのがパソコン。三○年前、高校三年時に購入したパソコンの組立てキットに夢中になって以来の趣味だが、今や組合IT化の全てを手がけるなど、仕事の領域にまで食い込んでいる。
秋鹿専務が組合を去ったその日、ある忠告を受けた。韓国の思想家、韓非の著作「韓非子」から引用した一文で、『人の善意に期待をするな』という戒めである。韓非子の特徴ともいえる人間不信の哲学だが、「信用するとのめり込みやすいボクを見ての忠告」と真摯に受け止めた。
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