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義経・頼朝 略年表【1147年〜1189年】

西暦
頼朝
義経
できごと
一一四七


■頼朝誕生
一一五九
十三

■義経誕生
一一六〇
十四

■父・義朝死亡、頼朝は伊豆へ流刑
■義経は助けられ母・常盤の下で暮らす
一一八〇
三四
二二
■頼朝挙兵
■頼朝、富士川の合戦で平氏軍に勝利
■黄瀬川で奥州より駆けつけた義経は頼朝と涙の対面
一一八四
三八
二六
■宇治川の合戦で木曾義仲に勝利
■一の谷の合戦で平氏を破る
■義経、後白河法皇より左衛門慰検非違使に任命されるが、
 無断任官に頼朝の不審を買う
一一八五
三九
二七
■壇ノ浦の合戦で平氏を破る。平家一門滅亡
■義経、鎌倉へ向かい腰越状を書くも頼朝に許されず、
 やむなく帰京。頼朝、義経追討のため鎌倉を発つ
■義経、逃亡の途、吉野で静との別れ。直後、静捕われる
一一八六
四〇
二八
■静、鎌倉へ護送。頼朝の命により鶴岡八幡宮で舞う
一一八七
四一
二九
■義経、奥州藤原秀衡のもとに身を寄せる
■秀衡、没す
一一八八
四二
三〇
■秀衡の息子・泰衡に義経追討の院宣下る
一一八九
四三
三一
■義経、平泉の衣川で泰衡の襲撃をうけ自害
■頼朝、奥州征伐へ。泰衡、郎党に裏切られ死亡

韮山町 「蛭ケ小島」石碑

●田方郡韮山町四日町字蛭島15

頼朝配流の地、「ひるがこじま」は現在の韮山町にある。狩野川の中州の一つで、当時ヒルが多く住む湿地帯だったことからこのように呼ばれたといわれる。頼朝は挙兵までの20年間をこの地で過ごした。現在は小さな公園となっている。

熱海市 伊豆山神社

●熱海市伊豆山708−1

頼朝と父北条時政に結婚を反対された政子が密かに逢瀬を重ねた場所。境内には二人が腰掛けた石や縁結びのナギの木がある。10歳年下の政子と結ばれたのは、旗揚げの三年前といわれる。1180年の旗揚げの際には源氏再興をここで祈願し、鎌倉幕府を開いた後は関八州総鎮護とされ、鎌倉・室町期を通じて栄えたといわれる。



中小企業静岡(2005年7月号No.620)