富士の叫び 
 特 集 
 「くみあい百景」 
 読者プラザ 
 編集室だより 



指導員の現場から
現代は、食文明と食文化との
“対立”の時代か?




グローバル経済の功罪

 国家、地域の枠組みを越え、障壁の無い開かれた世界を構築し、カネ・モノ・情報が自在に国境を越える経済のグローバル化の時代を迎えている。
 しかし逆にいえば、それは企業が効率性を追い求め、市場経済が世界を自由に支配することにつながっていくものではないかと考える。
 穀物を例にとると、世界の穀物をほぼ独占的に扱っているのは、米国に本拠地を置く一〇社程度の多国籍食糧商社、即ち「穀物メジャー」と呼ばれる巨大アグリビジネスである。
 ご存知のとおり、日本は大豆の九六%を輸入に依存し、その九〇%は米国からである。これら「穀物メジャー」が他国との大豆取引を増大させたり、米国の不作等により、海外輸出が抑制されると、日本における国内価格が高騰し、食糧パニックに陥りかねない。
 いかに日本が不安定な状況にあるかということを思い知らされる。

食文明vs食文化

 地球規模で食の文明化現象が起こっているといわれる。前述の「穀物メジャー」の例も含め、大量生産、大量消費の時代の中で、いかに多くのものを早く供給するかという流通システムが重視され続けてきた。
 牛肉を例にとれば、合理性を追求し、安く早く供給するため、肉骨粉に代表される濃厚飼料を利用するようになる。
 また食物の「旬」が分りにくく、大量・安定供給により、一年中食材があふれ、季節感が乏しくなっている。
 これらのものを「食文明」と呼ぶとするならば、「食文化」とは、それぞれの地域に根ざし、時季に合った、より個性的な価値観をもった「食」というものをお互いが尊重し合う文化ということになるであろう。
 日本は本来、世界の中でも最も食べ物の季節感を重んじた国である。(森羅万象のできごとを俳句なら歳時記という形で、すべて季節に分類してしまうほど。)
 しかし日本の食文化は、「一億総グルメ」、「飽食の時代」という言葉に代表されるように、大きく変容してしまった。
 子供達にはアレルギーが増え続けている。ファーストフード等、肉食志向の外食産業が普及していく中、今の食材のままでは、子供達の味蕾(そして未来)はだめになってしまうのではないかと心配になる。
 しかし反面、「スローフード」、「地産地消」、「食育」などのような食文化を重視する運動が最近活発化しつつあることは大変喜ばしいことである。
 日本の野菜の九割は海外の種といわれるが「京野菜」に代表されるような伝統野菜の復活のための運動や、ファーマーズマーケットにおける農家の直接販売のような例も増えている。(現在全国に一三、〇〇〇程あるといわれる。)
 「食文明」を対立構造としてとらえるのではなく、いかに「食文化」を重視しながら、調和を図っていくか。我々一人一人が問題意識を持ち、真剣に考えていく必要があろう。
(松下 剛久)



中小企業静岡(2003年 9月号 No.598)