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 明治三八年三月、同組合の母体となった静岡安倍材木商同業組合が誕生。百周年を迎えたこの十一月、静岡市で記念式典が催される。
 その陣頭指揮を振るうのが、昨年五月に組合のトップを託された小澤吉夫理事長である。
 「ぼくは、前理事長の単なるピンチヒッター。副理事長で最年長者の立場上、お受けしただけで、そろそろ引退するつもりでしたのに」。
 予期しなかった事態に当人も面食らうが、記念誌発行や式典準備の忙しさに愚痴をこぼすことなく、平然と、時には満面の笑顔を振りまき役回りを次々とこなす。
 次は、百年の大計を策定?
 「いや、そんな大行なこと、考えたこともない」と否定するが、業界振興への思いは人一倍強い。
 当面の課題は、内地材の需要減退をいかに復活させるか、である。これまでも、組合理事として行った木材の普及運動は、大きな成果をあげてきた。たとえば、「公共建築における材・工分離発注」の実現である。市から地域材の指定を受けるや昭和六一年以降、駿府城巽櫓・東御門の復元工事、駿府城東御門復元工事、駿府匠宿建築工事など三件の大規模工事に一、一五○m
3もの木材を納入してきた。

組合が創立100周年 
「木使い文化」の守役担う 
     クローズアップインタビュー 
静岡木材業協同組合 
理事長 
小澤 吉夫 氏 

 また、十五年度には静岡市の住宅の地産地消構想の一環として、「ひのき・杉の柱プレゼント事業」を具現化。一棟に対し柱百本を上限に助成するこの制度は、実績を買われ窓口が組合に置かれるまでになった。さらに昨年、静岡市の特別擁護老人ホーム「竜爪園」が行った大規模な増設工事でも、組合が提供した県産材が大きな評判を呼んだ。
 学校卒業後、木材業界に身を置き昭和三七年の結婚を機に独立。二八歳で創業をはたした。
 「その後、高度経済成長を迎え業界全体が上り調子に入った。でも、本当に景気が良かったのはオイルショック前後。木材といえばムクの時代だから、需要はありました」。
 一方この時期、諸物価が高騰。木材もその例外ではなかった。零細ゆえに木材の仕入ができない。そうした経営危機に立たされたのが、地元の大工・建築業だ。その困窮ぶりを見かねて、長期間にわたり安価での木材供給を続けた恩情家でもある。時代が変わり、今日、彼らは同社の得意先として躍進中だ。
 「日本で古来より大切に守られてきた“木使いの文化” が失われないよう、関連業界が連携を深めていかなければ」と守役を自任する。
 趣味は釣り。七一歳。




中小企業静岡(2005年11月号No.624)