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海外ルポ
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『イタリア 見たまま、
感じたまま』
水上 一夫
(静岡県中小企業団体中央会 参与)
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▲ナポリ民謡で有名なソレントの街を見下ろす筆者
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久方ぶりにイタリアを訪ねる機会をえた。独断と偏見のそしりは免れないことを承知で“イタリア見たまま、感じたまま”を二回にわたって点描してみる。
ユーロ統一の衝撃
かつてヨーロッパを旅行した人なら、当然のことながら国境をこえるたびに通貨が異なるため“両替”という煩雑さ、枕銭やチップの存在もあり、ありていに言えば、そのメンドクササには閉口した経験をもつ人は多い。
ところが、そのEU圏でイギリス、スイス、ノルウェーの三国を除き“ある日突然?”つまり今年の一月一日から通貨がユーロに統一されたから驚きである。
かつて欧州では米ドルも、わがもの顔で通用していたし、日本円もほぼ同様に現地通貨に準ずる扱いを受けていたが、ユーロの出現により米ドルや日本円の出番はほとんどなくなってしまったようだ。
もっともイタリアも地方に行けば、表示だけリラと併用もあるようだが、私の目にふれることはなかった。
民族も、言語も、歴史も、社会生活も全く異なる。しかも公認の集団人殺しともいえる戦争を何十回となく繰り返した苦い歴史を有する十二もの国々が、まさに小異を捨て、大同について成し遂げた 統一通貨の偉業。そして、その徹底ぶりは、私にとってビックリ仰天であった。とくにイタリアのリラは、
実に二千分の一の単位になってしまったことだ。
具体的に言えば、かつて百万リラもした女性用の高級バッグが五百ユーロ紙幣一枚ですむ勘定になる。思うに、この世に通貨が生まれてから史上最大の出来事だと思うが、さしたる混乱もなく、陽気なイタリアンに聞いたら『そう言えばリラなんておカネもあったけナ』と、すでに過去形の感じであった。
いずれにしても、これだけ多数の国が完璧に通貨統一できたことは、貴重な経済実験であり、政治的にも社会的にも空前の体験であったことは間違いない。EU側では、ユーロと米ドルのレートを対等の一対一でありたいという意図も理解できるが、もしもアジアでこれを真似て日本、中国、韓国などで、仮にエーロなる統一通貨など考えることも及ばない現実からみれば、ドイツ一国でユーロ圏GDPの三分の一を占めるなど、なお不安材料はあるものの、ひとりの旅人の肌にはユーロ統一は大成功と映った。
ここでユーロ成功をみて、私なりに感じたことを二点ほど提言してみたい。
第一点は、日本も円の単位を百分の一に“呼称変更”してみたらどうか。リラは一朝にして二千分の一に成功したのだから、円対ドルの“対等策”を講ずれば、経済マインドに変化も出てくるであろうし、“デフレ対策”にも心理的な、あるいは実質的な効果も期待できるかも知れない。旅人にそんな勝手な想像をさせるのもユーロ効果であろうか。
第二点は、いま日本では“改革ばやり”であるが、どんな大変革や構造改革も、やるべき人が本気になってやれば、必ず実現できることをユーロが実証したことであった。
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