日進月歩とは、まさに今日の激変の時世の様をよく言い表している。そういう意味では旧聞に属するが、今年の正月は、新しい千年の始まりという大きな歴史的な変わり目であり、あるいは百年という世紀変わりの、これまた大きな節目でもあった。
それにもかかわらず、そうしたことに対する意識が非常に薄いと思ったのは、私だけではないと思う。年賀に交すあいさつなども、ふだんの年と同じ気分の人が多かったのではないか。
正月の風物詩である、羽子板やお神楽や自動車につけた、お飾りなどの習慣が消えてからすでに久しい。考えてみれば日進月歩、あるいは秒進分歩ともいわれるIT時代には、そんな社会の習慣や正月だからといったことに、こだわっていたのでは生き残っていけない――ということなのであろうか。
私はそうしたあり方に反対である。このような変化の時代だからこそ節目、節目、折り目、折り目をもっと大事に考え、その都度、気持ちを新たにする機会としてとらえた行動が大切であると信じている。
どうも私たちは、社会経済の変化の中で無意識のうちに、今日の混沌とした閉塞感の漂う世相に戸惑い、結局は、自らがいまどの位置にいるのかを、見失っているのではないかと心配する。
幸い多くの組合では、間もなく三月の決算期を迎えようとしている。いまこそ組合(企業)も現状の姿は仮のものと考え、いま考えられる自らをとりまく経済社会の環境をシッカリと分析し、二一世紀の組合のあり方に、思い切った新しい息吹を取り入れて欲しいと思う。
それには若手の意見を取り入れることも大切だし、組合外部からの異質な意見や考えを積極的に吸収することを忘れないで欲しいものだ。
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