FLASH 
 特 集 
 専門家の眼 
 「くみあい百景」 
 編集室だより 



指導員の現場から
新たな地平線に向かって



眼高手低

 のっけから耳に痛い言葉と思っている中央会職員も多いことでしょう。
 「サラリーマンに企業経営が分かるものか。うちの会社は、数十億の売上を有し社長の俺は地元でも名士だ。素人の若造に何が分かる?偉そうに指摘しても果たしてそのとおりにできるのか自分でやってみな。」
が経営者の本音かも。
 ある老舗バーの店主は、スタイルのある客は決まって実業家の客だとつぶやく。見果てぬ夢に向かって型にはまらず何者にも支配されず、自らの力を信じて決断していく。その気骨が雰囲気に醸し出されるのだろう。サラリーマンが酒場で愚痴りながらも、所詮月末ともなれば安穏と給与をもらえるのとはわけが違うぞ、とでも言いたげだ。人は自分の立っている世界しか存在しないかのごとく錯覚しがちである。一流の経営者には勤め人には見えない世界が見えているんだと思う。

分かっちゃいるけど変えられない?

 その若造(おじさんだけど)が高度化事業に触れて感じることがある。
 同時期に工業団地や共同店舗に進出した組合員が数年で差が出て来る。要は努力のフォーカスの違いだろう。経営者は、金と時間の活用にかけてはプロのはずなのに、なぜ?と思うこともしばしばである。
 例えば、工場に金をかけ過ぎる例。見栄かな?箱は果実を生まないので最低限の機能を有するもので良いよね。高い箱は資金回収を遅くするだけ。それから原価管理が意外と甘かったりする例。固定費に対する認識の甘さから人件費が垂れ流しになっていたりする。
 胸躍らせて出店したショッピングセンター。でも期待した程儲けが出ない。家賃負担で損益分岐点売上高は高くなっていることを忘れがち。一人よがりになっていませんか?ターゲットが的外れでないか。飽きさせない工夫を怠ってないか。冷静に振り返ってみよう。
 大企業であればすぐに改善するであろうことに小回りがきくはずの中小企業が意外と硬直的であったりする。問題なのは「分かっている」のに修正しないことである。

高度化は強力な梃子(てこ)だ

 力のある企業は面倒な共同化、集団化なんてしないで単独でやる、と言う人もいる。しかし、組合で行う方がより小額で目的達成ができ、美味しい所取り、必要な部分だけの秤買いが可能だ。最適切な金と時間の活用で得た成果を再投資して更なる飛躍に結び付けてはどうだろう。高度化事業の活用により実施すれば、多くの恩典を受けることで輝きは一層増す。
 高度化事業は強力な梃子だ。その梃子で得たスピードとエネルギーを更に強力に作用させるための冷徹な目を忘れないで欲しい。そしてその先にある未知の世界に足を踏み入れることで、今は見ることのできない新たな地平に目を見張って欲しいものである。
(小林孝志)



中小企業静岡(2004年1月号 No.602)