業界意見発表として、まずはじめに「中小企業自らの変革」というテーマで、新潟県燕市から(株)東陽理化学研究所の吉原祐会長を招き、`転換と克服の歴史aといわれる同市の産業の歴史や吉原会長の経営哲学について聞いた。
私の会社がある新潟県燕市の産業は、江戸時代の和釘の生産に始まる。
しかし明治時代にはいり、洋釘が輸入されるようになると、和釘は一気に衰退。和釘がダメになると、県内の銅山に目をつけ、キセルやヤスリを製造したが、キセルは紙巻きたばこの出現で、またヤスリなどほかの銅製品は、ステンレスの登場で先細りとなってしまった。
その後、金属洋食器の分野に進出し、戦後には、ステンレスに素材をかえて「金属洋食器の町」と呼ばれるまでに大きく成長した。
だがこれとても、相次ぐ円高やアジア諸国の台頭などで次第に競争力を失う結果となり、またしても事業転換を迫られる状況になった。
現在では、このステンレスの加工技術や電解研磨技術などを活用し、ハウスウェア(食卓・台所用品)の分野に比重を移し、地元産業は活気を取り戻している。
このように燕市の産業は、まさに転換と克服の歴史であり、この転換期には多くの企業が倒産の憂き目にあってきた。
燕市の産業の特徴は、一貫生産ではなく、製品ができあがる各工程別に企業が存在していることにある。したがって、親企業一社だけでなく、複数から請け負う独立独歩の経営を行っている。
厳しい状況の中ではあるが、それだけにたくましくおもしろい経営が行われている。
当社は、昭和二五年にステンレス電解研磨専門企業として設立した。
現在は、ステンレスの魔法瓶を中心に、国内生産の約四割を扱っている。
私どもは、「技術で生きる」を基本として、モノづくりを中心にやっている。
そのため過去には、補助金を活用し研究開発に取り組んだこともあるが、基本的には、中小企業というのは自助努力が必要だと思う。保護されすぎると、足腰が弱ってしまう。何度も転換を迫られ、課題を克服してきた燕市の中小企業は、これを当たり前のようにやってきた。
企業の自助努力の源は、やはりそこに働く「人」である。私のところでは、従業員にやる気になってもらえるよう努力している。人をいかに大切にしていくか、これが中小企業の本来的課題である。
|