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そろそろである――。 夏至をはさんで、その前後の二〇日余り、何とも鬱陶しい「梅雨」が続く。 勤めの往復、そして休日。間髪容れずに降る雨は、“風流”などと洒落込んで顎を撫でつける余裕すら与えない。 雑事で霞みかけた目を見開けば、路傍には紫陽花が花をつけ、雨の滴をたわわに含んでいる。 この雨は、我々にとって、夏を潤す貴重な授かりものとなる。 梅雨に煙る紫陽花の姿を見るにつけ、思わず雨の恵みの有り難さを思い知る。 そう呟いてはみるものの、窓越しに、低くたれ込めた鼠色の雲を眺めれば、その切れ間をねらって、ただただ広いところに身を置きたくもなる。 表紙にあるのは、富士山西麓に広がる朝霧高原――。 豊かな緑が広がるこの高原は、海抜一千メートルの高冷地。爽やかな風と、間近に仰ぐ霊峰富士に心奪われる。地平線に目をやれば、大自然を意のままに飲み込んだ牛の群が、のどかに時を刻む。 牛は愚鈍? とんでもない。あたら自然を操れると思いこむヒトこそが、長い時の中にあっては“遠回りする愚鈍な生き物”と言うべきか。 (秀) |
中小企業静岡(1997年06月号 No.523) |