google

特集

平成20年誌上年賀交換

日本初の純国産ジェット機

「橘花(きっか)」 昭和20(1945)年

わが国最初の純国産ジェット機は、不幸にも兵器として産声をあげた。ドイツが開発した世界初の実用ジェット戦闘機メッサーシュミットMe262の技術資料を基に開発製造にとりかかり、1年足らずで第1号を完成させた。

終戦の1週間前(昭和20年8月7日)、わずか11分間だが、わが国純正のジェット機が初めて大空を飛んだ。生産数は、初飛行した第一号と完成間際で終戦を迎えた第二号の2機だった。

戦後、国内では飛行機の設計製造は全面禁止となったが、サンフランシスコ平和条約発効後、再び大空への挑戦が始まった。「橘花」の開発に携わった技術者らは、戦後初の純国産ジェット機開発に情熱を注ぎ、「橘花」初飛行から12年後の昭和32年、ジェット練習機T-1が日本の空を舞った。


日本初の歩道橋

愛知県「西枇杷島歩道橋」 昭和34(1959)年

4月25日は「歩道橋の日」。昭和38(1963)年、大阪駅前に大型歩道橋がお目見えしたことに由来しているという。しかし、それより4年近く前の昭和34(1959)年6月27日に完成した愛知県西枇杷島町(現:清須市)の旧国道22号線(現愛知県道67号線)にかかる歩道橋がわが国初。

「岩戸景気」真っ只中にあったこの年は、自動車の保有台数が200万台に近づく一方、交通事故で亡くなった人が初めて年間1万人を超え、その後の「交通戦争」を予感させる一年でもあった。

こうした中、同町でおきた小学生の死亡事故をきっかけに、住民と行政が協力してできたのが、「西枇杷島歩道橋」である。階段はコンクリート造りで、横断部が鋼鉄製、全長46.8メートル。完成から50年近く経た現在も、「現役」の歩道橋として歩行者の安全を守っている。


日本プロ野球公式戦で初ホームランを打った選手

藤井勇(元大阪タイガース) 昭和11(1936)年

昭和9(1934)年、巨人軍の前身「大日本東京野球倶楽部」が設立され、日本初のプロ球団が産声を上げた。2年後の1936年には7チームによる「日本職業野球連盟」が創設され、現在に至るペナントレースが始まった。公式戦のスタートは同年4月29日に甲子園球場で行われた名古屋軍(現中日)− 大東京戦。その5日後の5月4日、大阪タイガースの藤井勇がセネタースの野口明からわが国プロ野球公式戦の初ホームランを放った。以来、公式戦では85,000本を超えるホームランが記録されている。なお、記念すべき公式戦第一号は、ランニングホームランであった。

藤井選手は、21シーズンにわたり、選手として活躍。42歳で現役引退後は、大洋ホエールズの監督や阪神タイガースのコーチとして、田淵幸一をはじめとする若手選手を指導した。