階級政党から国民政党へ一大変革
当初は現代の中国を日本の戦国末期になぞらえ、織田信長と毛沢東の比較から書きはじめたが、浅学の身ではとても無理だとさとり、まず最も印象に残った私的現代中国論からのべてみたい。
私が帰国(昨年十月末)して間もなく、北京で中国共産党大会が開かれた。そこで共産党は、労働者・農民による「階級政党」から、私企業つまり資本家も党に加わるという、予想だにしなかった「国民政党」へと一大変革をいとも簡単に実現した。マスコミ流にいえば”国民政府“を樹立したことになる。
一体この国は、今後どのような歩みをしようとするのであろうか。
今回の変革を私の主観で言えば、昨年の世界最大の出来事であり、あの忌まわしい九・一一テロ事件以来、世界中(日本も)に暗いニュースが充満しているなかで、世界の将来に展望を持てる、明るいニュースであったと思う。
すなわち十三億の民をもち、毎年十%に近い経済成長を続けている国で、大きな混乱や権力闘争が起これば、コトはひとり中国だけに止まるものではない。軍事的にはもちろん、経済的にも(すでに世界中の企業が中国に足場をもっている)、あるいは有限なる地球上の資源のこと、とくに世界的な環境問題にも、多大な影響をあたえざるを得ない。つまり中国の安定は即グローバル化した世界の安寧に、欠くことのできない大きなウェートを占めている。
そうした意味で、階級政党でありながら、権力闘争もなくスムーズ(?)に政権の中枢が一世代も若がえったことは、江沢民の強力な指導力であり、この国の“安定”ぶりの証左といえよう。
私見ながら複雑な問題を抱えたあれだけの大国を統治していくには、まだまだ絶対的な中央集権が機能しなければ制しきれないであろうし、今日のような経済成長や大都市を根本からヒックリ返すような大改造も出来なかったであろう。
国民政党への脱皮という破天荒な出来事は、日本でいえば憲法第九条の改正以上の重大事項が短時間に実現できたことは、 小平の“ねずみをとるネコ論”つまり、私企業重視の経済成長が成功のキーポイントとなり、WTOへの加盟にも踏みきることができた。
いずれにしても、この国の安い人件費による攻勢のため、深刻な空洞化に悩むわが国にとって、中国が今後どのようなプロセスで国民政党を標榜する政策を展開していくのか、中長期的視野で注目していかなければならない。
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