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経営とモラルと責任と…

 今更、私が言わなくとも、いまや全国民周知の事実となったが、わが国産業を代表するような大企業が、次々と引き起こし続けている不祥事にはとてもガマンならないものがある。
 私はかつて食品関係の仕事に関っていた経験から、斯界では「雪印」という会社は、あらゆる面で“超”という冠をつけられていたトップ企業であったことはよく承知していた。その雪印に続き、続々として白日のもとにさらされた日本ハムや三井物産、さらに東京電力などなど‥‥すでに企業モラルをこえて人間性そのものが問われるような、国民に対し反社会的な事象が、日常茶飯事のごとく行われていた。
 つい十数年前まで、世界の目は「日本は政治家は二流だが、経済人は一流」との定評を受けていたはずなのに…
 どうしてこんな事態になってしまったのか。当事者からすれば、その原因はそれぞれの会社ごとに固有の経過や弁解もあるだろうが、思うに高度成長からバブル(バブルには“あわ”の他に詐欺の意味もある)景気におどらされ、企業風土のなかに、詐欺的行為への甘さがまん延し、企業人の心のすみずみにまで染み込んでしまったのではないか。
 実はここで指摘したいのは、企業人としての大企業(幹部)と中小企業者との責任感の比較である。企業数全体の九九・八%を占める中小企業の
経営者は、常に“板子一枚下は地獄”であり、失敗すれば家屋敷をはじめ、全人格をも失うことは経営者ならだれもが背負っている宿命である。
 しかし、銀行が大企業の幹部に担保や個人保証を強要したことなど、寡聞にして知らない。最近の不祥事が報道されるのを見るにつけ、改めて我々中小企業こそがこの国の基礎を支え、経済はもとより、雇用面など社会全体にとって、いかに大事な存在であるかを再確認している。

静岡県中小企業団体中央会・会長


中小企業静岡(2002年 10月号 No.587)